自由な人っていう定義には
他人に左右されない とか
自分で決めて生きている とか
やりたいことやっている とか
そういうのが諸々入っているんだけど
そういう人って
雰囲気的にゆるゆるしてたり
ポシティブな感じで生きているように見せかけて
自分の自由という「理想」を常に掲げているわけだから
その理想と現実とに常に直面しながら生きている。
理想と現実ってかなりギャップを感じる事だし
そのギャップってどちらかというと怒りとか悲しみとして
感じることが多いと思う。
しかもその理想って常に掲げ続けていないと
簡単に崩れ去ってしまって
簡単に他人や社会に流されてしまう。
だからこそ自由の土台作りってめっちゃ大事だし
自由がゴールというよりも
その土台作りにどれだけ挑めるか、みたいなところが
すご〜く重要だなと。
しかも「挑む」わけだから
やっぱり常に戦っているわけです。
毎秒、毎秒、理想と現実を交互に見ながら
しっかり観察していく。
で、理想って自我の欲が入り混じりやすいから
幻想の方に寄ってしまうと道を外れてしまうので
結構思い通りにいかない。
そういう意味で「負ける」っていうことを繰り返しながら
負けるってどういう意味か、
自由ってどんな風に作り上げるのか
常に常にPDCAをぐるぐるぐるぐる高速で回転させているんじゃないのかな〜
と、ふと思ったわけです。
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